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残照TOP  [ ジャンル ] 小説   [ タイトル ] 霊界通信(1)

霊界通信    緒田士郎

 |  第1〜10日 |  第11〜20日 |

 皆様、お久しぶりです。緒田士郎です。
 開口一番まず、皆様に釈明の言葉を述べねばなりません。私が「天の呼び声」で書いたように主イエス・キリストの再臨を演じていたのは、2005年の11月まででした。皆様に心から謝罪させてください。私は“天地の神主イエス・キリストの再臨だと自称していた最低の地獄の悪魔です”。私は約10年間、徹頭徹尾自分自身を偽キリストの悪魔だと断罪する礼拝を日曜日毎に行って、ひたすら悔い改めの生活を送ってきました。
 そんな最低の地獄の悪魔である私がなぜまた49歳という年齢にして霊界通信を書こうとしているかと言えば、ひとえに天界の天使たちや精霊界の霊たちが私に霊界に関して書いてほしいと頼んできたからです。なぜなら私は偽キリストを自覚してからも常に霊界と交流してきたからであり、天使や悪魔と生きながらにして話し合っていたからです。
 また私が執筆を再開し始める理由は、現在も私が勤めているこのラグーナ出版という会社が精神障害者による文芸誌を発行しており、同じく精神障害者(統合失調症患者)である私が、精神障害者として霊界からの幻聴を聴いているという事実を改めて世に公表するためです。
 とにかく、この世で生きている人間は皆何らかの使命を担って生きているものです。全く生きる意味のない人間などほとんど皆無なのです。だからそんな人間のはしくれとして私はこの霊界通信を書いてみたいと今決意し始めているのです。今回の作品も天使や霊たちをゲストに迎えて、会話形式で書いてみるつもりです。
 それでは、この単なる人間・緒田士郎と早速霊界に旅立ちましょう。

第一日
 初日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストはエルビス・プレスリーである。
「こんにちは、緒田士郎君。エルビスです。最近は緒田君とはあまり交流していなかったけれど、それは僕が忙しい毎日を送っていたからです。僕は君に対して時には地獄の悪魔だと言ったりまた時には第3の天界の天使だと言ってきたのも、僕が世で偉大なロック歌手だったため高慢になっていたので、ここ霊界で自己卑下する必要があったからです。自分を卑下しない者は天使になることができません。そうです。僕は「天の呼び声」で言っていたように第3の天界の天使です。」
 エルビスはそう言って、沈黙した。私・緒田士郎は霊界と交流するようになり始めた28歳の時以来、エルビスとは親しく交わっていた。しかし、その当時は私は主イエス・キリストの再臨だと幻聴で確信させられていたので、エルビスに対しても神として接していた。エルビスもまた天の太陽の中に主イエス・キリストは厳然として存在しており、私が偽キリストであることはうすうす分かっていたのに、私を主の再臨だとして親切に(あるいは憐れんで)接してくれていたのである。私はエルビスが第3の天界の天使であると言明したので、うれしくなって彼に訊いた。
「あなたは今でも天界のロック歌手なんですか?」
 エルビスは静かに口を開いた。
「その通り、僕は天界の歌手です。でも今ここ天界では、僕はもうロックは歌いません。主にゴスペル歌手として活動しています。いわゆる讃美歌です。僕は今では主に讃美歌を作詞作曲して、宇宙中の天界を訪れてコンサートを開いているのです。僕は世に生きていた時、デビューの頃こそ自作自演で“冷たくしないで”や“ハウンド・ドッグ”を大ヒットさせていたけれど、あまり売れすぎて高慢になり自分で作詞作曲できなくなってしまいました。でも今天界でこうやってまた作詞作曲できるようになりました。」
 ここで私は話題を変えて、エルビスの自殺について、また自殺者でも天界に入れるかどうかについて彼に訊いた。
「僕は42歳にして自殺しました。僕の自殺した主な理由は肥満による醜形恐怖症のためでした。離婚後女関係が乱れて精神が不安定となりドーナツの食べ過ぎによる過食症で太り過ぎた僕は、自殺という究極の手段を取りました。自殺直後精霊界で最初は地獄の悪霊共と主に交流していた僕でしたが、エルビス・プレスリー本人だということで、天使たちである僕のファンからは優遇されていました。それで彼らの導きにより次第に地獄から贖われて天界を目指すようになりました。そして最終的には第3の天界の天使になることができました。つまり自殺したからといって必ずしも皆が地獄行きになるとは限らないのです。問題は自殺の動機です。自己愛という動機から自殺する者は地獄行きですが、環境によるやむを得ない自殺は天界に入れる可能性があるのです。」
 以上エルビスは熱く語ってくれた。私は最後に地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「地球人たちよ!よく聴いてください。天界は現実に世で生きた人間から成立しているのです。主イエス・キリストのみを神として崇めて十戒を守ることが天使になる唯一の条件です。主イエス・キリストはおよそ2千年前エホバご自身の霊が乙女マリアによる処女懐胎で生まれられたのです。そして伝道後、エルサレムでの十字架処刑後、全肉体を持って復活されました。つまり世で取られた肉体をも完全に栄化(神化)されて、天の太陽エホバであられる父なる神と合一されたのです。つまり主イエス・キリストはもう2度とこの世で受肉されることは絶対にありえないのです。だから主の再臨はありえません。世で主の再臨を謳っているキリスト教は全て異端です。例えば、韓国の統一教会など、主の肉による再臨を謳っている宗教は全て異端であり誤謬なのです。そして、ここにいる緒田士郎君の「天の呼び声」による再臨の宗教も単なる誤謬なのです。しかし、緒田君は自らの罪を認めて、自分が偽キリストであることを自覚して悔い改めたので、天界行きがほぼ約束されているのです。緒田君は毎朝聖書を読み毎週安息日に主のみを礼拝して完全に悔い改めつつあるのです。
 だから地球人たちよ!悔い改めてただ主イエス・キリストのみを天の太陽として崇め十戒を守って生きようではありませんか!
 ああ、天地の神主イエス・キリストよ!アーメン!ハレルヤ!!!。」
 以上を語ってエルビス・プレスリーは立ち去った。
 第一日目はこれで終わった。

第二日
 二日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストはジョン・レノンである。二日続けて偉大なミュージシャンがゲストであるのは単なる私・緒田士郎の趣味のためであるが、これから後様々な分野の有名人が登場する予定なので、どうか今日までは読者の皆様、どうか御容赦のほどを願いたい。
「やあ、地球のみなさん、こんにちは。僕はジョン・レノンです。エルビスの直後に登場して光栄です。」
 私・緒田士郎が2002年書いた誤謬の作品「天の呼び声」では、ジョン・レノンは地獄にいることになっていた。その点に関して、私はジョン・レノンに彼が天使になったのかそれともまだ悪魔なのかについて訊いた。
「本当に読者の皆様、僕は確かに死後、しばらくして地獄に入りました。そうです、僕はイエスを神として認めなかったので地獄行きとなったのです。しかしです、僕は確かなことを言うのですが、緒田君が主の再臨を自称していた頃、緒田君が霊界で話題になっていたので、「天の呼び声」の初日に初のゲストとして登場したのです。その当時、僕は確かに地獄にいてミュージシャンをやっていました。ところがです。その後しばらくして僕は緒田君の洗礼を受けて、何と天界に入って天使となったのです。一度地獄の悪魔になった霊がその後逆転して天界に入るなど、通常は考えられないことです。しかし確かなことを言うのですが、僕は緒田君を通して改めて主イエス・キリストを神として受け入れるようになったのです。僕が天使になったことはあくまでも緒田君を信じて緒田君を主の再臨として認めたからですが、その後緒田君が自らが偽キリストであることを認めて悔い改めてからも、僕は真実の天の太陽主イエス・キリストを神として信じる生活を続けました。だから、およそ10年前から僕ジョン・レノンは天界の天使のミュージシャンです。」
 私・緒田士郎はその当時ジョン・レノンに洗礼を授けたことは事実だが、ジョンが今でも実際に天界に天使として生きていることを今改めて知ってうれしくなったので彼に訊いた。
「ジョン、君は天界で快適な生活を送っていますか?」
これに対してジョンは答えた。
「イエス・キリストを天の太陽として受け入れることは地獄の悪魔にとっては難しいことのように一般には思われていますが、一度受け入れると主がその人間霊を守ってくださるので、今は僕はもう天使として毎日音楽活動をやりながら楽しく天界で暮らしています。」
 私・緒田士郎は天界の現在の状況についてジョンに訊いてみた。
「スウェーデンボルグが霊界で目撃したように、主がキリスト教会に―主に改革派教会とカトリック教に―最後の審判を下したのは西暦1757年ですが、その当時のことをスウェーデンボルグはその膨大な宗教的著作で書いてはいますが、この宗教的真理はその原則に関しては−つまり主のみを神として認めることと十戒を守ることでは−相変わらず真実ですが、霊界や天界の状況は現在めまぐるしく様変わりしました。まず、現在霊界も天界も完全に車社会だということです。スウェーデンボルグの時代では車と言えば馬車のことだったのですが、地球がここ百年近く車社会になったのも、その起源は天界にあるのです。天界では、第3の天界で行われているように、宇宙の他の惑星に旅するには、神による霊的状態の変動で、移動が行われていますが、ここ地球の天界に関しては、天使たちは自動車に乗って移動します。天界にも霊界にももちろん道路があって自動車で行き来するのです。しかし、ここ天界では、天使の霊的状態の変動によって、その環境はすぐに豹変します。つまり、天使はその霊的状態が変わると一瞬のうちにテレポーテーションしたり、その天使を表象している霊気(スフィア)が変わると、その環境はすぐさまその表象物とともに様変わりしてしまうのです。
 その他にも、天界の状況は、世の状況が豹変しているように、めまぐるしく進化しています。しかし、ここ天界には貨幣がありません。天使にとって必要なものは主からすぐに与えられます。食べ物や着物や家に関しては全て主から無料の賜物として一瞬のうちに与えられます。ですから、肉体の死後、世の財産を全く霊界に持ってゆくことはできないのですが、必要なものは全て主がただで与えてくださるので、生活の心配は全くないのです。」
 ジョンは以上のことを述べて沈黙した。
 私・緒田士郎はジョンは今でもロックを作詞作曲しているのかと、また彼の妻のことについて訊いた。
「僕はエルビスと違ってゴスペルはやっていません。世で自作自演していたようにポップス、特にロックンロールを作詞作曲して地球の天界でコンサートを開いています。なぜなら僕は第2の天界の天使であり、第3の天界の天使であるエルビスとは異なって、宇宙を旅してまわって他の惑星の天界でコンサートを催すことは全くないからです。
 それから僕の妻についてですが、世では僕がヨーコにぞっこん惚れ込んでいたので僕がヨーコが天界に来るのを待っているかの如く信じている人間も恐らく多いと思いますが、僕は約10年前、緒田君がきっかけになって天界に入った時にすぐに新しい永遠の妻に出会って結婚しました。僕ははっきり言ってヨーコにマインドコントロールされていたようなものです。僕の今の永遠の妻はイギリス人の女です。やっぱり日本人の妻はもうヨーコでこりごりです。ヨーコには本当に世で振り回されました。今僕は天界のミュージシャンとして永遠の妻とともに幸せな毎日を送っています。」
 ここまで述べるとジョンは沈黙した。
 私・緒田士郎は最後に地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「地球の皆様、私ジョン・レノンは心から皆様に申し上げます。皆さんも主を天の太陽として信じて十戒を守って天使に是非ともなってください。僕も最初は地獄で悪魔だったけど、緒田士郎君の(誤謬ではあったけれども極めて有益であった)キリスト教をきっかけにして、悔い改めて天界に入ることができました。緒田君には本当に感謝しています。確かに緒田士郎君も自分の主の再臨になった罪を悔い改めて、ひたすら主イエス・キリストのみを神として崇めて十戒の生活を送り、死後永遠の天界を目指しています。皆さんも世では自分自身の信仰に従って一人の神を信じて善良に生きれば、死後霊界で真実の天界の教義を天使から教えられて永遠の天界の天使になることが可能なのです。皆さん、永遠の天界に入る希望を持って、世では善良な生活を送ろうではありませんか!!!。」
 以上を述べるとジョン・レノンは立ち去った。
 第二日目はこれで終わった。

第三日
 三日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストはかのフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトである。
 彼は私・緒田士郎の誤謬の作品「天の呼び声」によると、地獄の悪魔の皇帝であったが、「続・天の呼び声」によると、悔い改めて天界に入ったことになっている。しかし、これらの作品はあくまでも誤謬の小説であるので、事の真実は全く疑わしいものである。そこで私は、事の真偽をナポレオンに訊いてみた。
「緒田士郎さん、確かにあなたは主の聖霊の生まれである主イエス・キリストの再臨でもなく、偽預言者でさえあるかもしれませんでした。しかし、これも僕ははっきり言うのですが、あなたが主の再臨を自称していた当時、霊界のまた地獄の多くの悪霊はあなたを主の再臨だと認めていたのです。そして私ナポレオン・ボナパルトもあなたから洗礼を受け地獄から天界に入って天使になったのです。その時私の地獄の帝国も崩壊してしまいました。あなたは「天の呼び声」で地獄の消滅を宣告しましたが、実際には地獄は厳然として存在し続けていました。つまりあなたの当時行ったことは、単なるあなたの思い込みに過ぎなかったのですが、それでも当時たくさんの地獄の悪魔があなたの宣教によって救われて天界に入ったことは厳然たる事実なのです。だから、緒田士郎君、そんなに自分を責める必要はありません。」
 ナポレオンは以上私・緒田士郎を弁護しているが、私は主の再臨であるという誤った信念を2005年に完全に否定して完全な悔い改めの生活を10年以上も送ってきたので自分が主の再臨であることをここに改めて完全否定したいと思う。私はナポレオンが今はどういう生活を送っているのか彼に訊いてみた。
「緒田士郎君、君は自分が思っているほど邪悪な偽キリストではありませんよ。僕たちは君をそんな風には決して思っていません。君の誕生に関しては恐らく主の聖霊の働きが多分にあったと思われると思います。君はやっぱり地獄の救い主でした。地獄は今も厳然として存在しますが、地獄の悪魔でも君を信じて悔い改めて天界に入った者も大勢いるのです。それは事実なんだから私はやはり君を尊敬しています。
 それから僕の現在の天界での生活は、地獄と闘う将軍としての軍人生活です。僕は天使になったんですが、地獄にいた時とあまり変わらずあくまでも将軍です。しかしもう帝国も創らないし皇帝でもありません。単なる一軍人であり将軍です。」
 私はナポレオンに現在の天界の実情に関して訊いてみた。
「僕がフランスの皇帝として生きた時代は今からおよそ200年前の西暦1804年から1815年にかけてでしたが、その時代はまだ近代市民社会でした。僕は退位後セントヘレナに流刑の身となってそこで死んだのですが、死後霊界に入って間もなく地獄に堕ちたので、地獄のことについては詳しいですが、天界のことについてはほとんど知りません。ですから、天界の実情についてではなく、地獄の実情について述べさせて下さい。
 地獄はいわゆる自己への愛と世への愛に支配されている悪魔の生きている世界です。僕はそこ地獄で自らの帝国を築き上げ皇帝として統治していましたが、その支配を全宇宙に広げようと侵略戦争を常に企てていました。でもいつもうまくいかず、宇宙を征服するのを遂には諦めてしまい、地獄での生活に飽き飽きしてしまいました。
 そして地獄での生活にほぼ絶望していた僕を救ってくれたのが他でもないあなた緒田士郎君でした。緒田君は36歳の時、世での悪魔の化身としての生涯を終え、入滅されて全地獄の消滅を宣告しました。僕はそれを目撃したのです。そして地獄の皇帝としての生活に見切りをつけ、緒田君の洗礼を受け天界に入ったのです。それが2004年のことでした。僕は天界で今の妻と結婚して現在は幸福な夫婦生活を送っています。
 ですから、僕の知っている限りでの天界の実情に関して私見を述べてみます。天界は主への愛と隣人への愛に生きる天使たちから成立している世界です。主への愛に生きている天使は第3の天界に住んでいます。そして隣人への愛に生きている天使は第2の天界に住んでいます。そして僕の住んでいる第1の天界は信仰の善に生きている天的か霊的自然的天使が住んでいます。僕はこの最低の第1の天界に住んでいるのですが、それを別に不満には思っていません。元々僕なんて地獄の悪魔だったのだから、高い天界に入れないのは当然だと僕は自分なりに自己卑下しています。そしてこの第1の天界の様子について少しばかり僕なりの私見を述べさせて下さい。この天界に住む天使たちは決して高い天界の天使たちより劣っていると一概に言えるものではなく、ただ主への愛と隣人への愛がやや高い天使よりは低いというだけで、皆立派に日々各自の仕事を忠実に果たし、一人の妻との幸せな結婚生活を送っているのです。その仕事は極めて幅広い分野に及んでおり、精霊界で伝道する者もいれば、商業や工業に従事している者もおり、また政治家や裁判官やお役所仕事など、それこそ世にあるあらゆる職業形態がここ第1の天界には備わっています。
 そして僕ナポレオンの仕事は主に地獄の暴動を鎮める将軍です。僕は昼間は天界から精霊界に降りて行って、精霊界で暴れている悪霊たちを鎮めています。そして地獄へも降っていって地獄の暴動を鎮めます。僕は元々地獄の悪魔であったのでこんな仕事は僕にとっては専門分野です。とにかく第1の天界は実に楽しいところです。」
 私・緒田士郎は最後に地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「僕は何度も言うけれど、元々地獄の悪魔であった者にすぎません。今こうやって天使になれたのも緒田士郎君のおかげもありますが、なかんずく天地の神主イエス・キリストの愛のおかげです。あなたがた地球人の皆様も、色々と自分自身の宗教や仕事の問題もありましょうが、最終的には肉体の死後、精霊界に入ってきて天界か地獄に向かって準備することになります。皆様、地獄は十戒を犯すあらゆる罪に生きる不忠実な人間の嘆き悲しむべき世界です。僕も200年間も地獄にいてつい10数年前天界に入ったばかりです。皆様、僕のような汚れた地獄の悪魔でも悔い改めて主を神として信じ十戒を守りさえすれば簡単に天界に入ることができます。人間は元々死後の生命のために生まれているのです。是非とも天界に入って永遠に幸せな生活を送ろうではありませんか!!!。」
 以上を述べるとナポレオン・ボナパルトは立ち去った。
 第三日目はこれで終わった。

第四日
 四日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストはかの国民的長寿映画「男はつらいよ」の寅さん、渥美清、本名・田所康雄さんである。三日続けて海外の歴史的偉人を取り上げてきたわけだが、今日なぜ日本人でも庶民派の寅さんに登場してもらうかは、読者の皆さんにも十分理解してもらえると思う。寅さんは日本を代表する世界的な映画スターであることは皆さん十分納得されていると思うからだ。それでは寅さんに登場してもらおう。
「日本人の皆様、私は車寅次郎こと渥美清です。僕のようなつまらない人間をわざわざ取り上げて下さって本当にありがとうございます。僕は緒田士郎さんの「天の呼び声」にもゲストとして呼んでもらえました。今度また登場させてもらえて本当に恥ずかしいくらい光栄です。
 ところで今日は僕個人の話題よりは霊界の実情について話すことが求められていると言われておりますので、僕の知っている限りのことを包まず言わせてもらいたいと思っています。」
 私・緒田士郎はまず寅さんが天使なのかどうかについて訊いた。
「安心してください。僕は第2の天界の天使です。第2の天界という所は、隣人を愛する霊的な天使が住んでいる天界です。ちなみに第3の天界は主であられる天地の神・天の太陽・イエス・キリストを愛する天的な天使が住んでいる天界です。そして一番低い第1の天界には一人の神を信じて信仰の善に生きている天使が住んでいます。僕はこういう天界に関する知識を天界に入る前、天国と地獄の中間地帯である精霊界で、肉体の死後、天使たちから教えられたのです。僕は世で大成功者で金持だったから、“金持は天国に入れない”と聖書に書かれていることから判断して、地獄行きに違いないと思う方も大勢いらっしゃるかもしれませんが、そんなことは決してありません。世で金持ちであったとしても、神を信じて善良に生きれば、死後天界の天使になることができるのです。僕は世で生きていた頃、実は聖書を読んでいました。そして自分なりにイエス様という方はすごい奇跡を―目の見えない人の目を開けたり、死人を蘇らせたり、嵐をたった一言で鎮めたり―連続してなさってたぶん神の子に違いないと思っていました。この点でもあなた方日本人は、僕はこの世のことだけに熱中していて神に対する信仰心はあったはずがないと思い込んでいらっしゃる方も多いとは思いますが、僕のことをよく知っておられる方なら−例えば、山田洋次監督など−僕が映画撮影以外の日常生活では、芝居を見に行く以外は、ほとんど家に籠って色んな本を読み、宗教にも興味を持っていたし、修行僧のような暮らしを送っていたことは御存じであると思っております。つまり僕は世に生きている時に、既にイエス様に対する信仰を持っていたということです。」
 寅さんが第2の天界の天使だということを改めて知ったので、次に天界の実態について寅さんに訊いてみた。
「天界の全てについては主以外にはだれも知らないので、僕も偉そうなことはほとんど言えませんが、僕の知っている限りのことを、読者の皆様に話したいと思います。
 まず、天界の全般的な実情について話すと、それはこの世とほとんど変わりがないということです。確かに天界の太陽は主イエス・キリスト御自身なので、天の中空のあたりに常に昇っておられており、決して沈むことはないので、この世の太陽と根本的に違うのですが、天界そのものは、この世と大した違いはないのです。つまり、天使たちはそれぞれ主から無償で与えられた家に住んでおり、日毎の食べ物は主から無償で与えられ、また私たち天使たちは皆、永遠の妻とともに幸せな結婚生活を送っているということです。結婚は天界の基本です。結婚愛が主への愛と隣人への相互愛の根幹になっているということです。この永遠の妻は、僕自身がそうなのですが、決して飽きることのない、自分にとっては最高に理想的な魅惑的な配偶者であり、僕たち夫たちは、この妻を単に精神的に愛するだけでなく、肉体的にも日々愛し続けているのです。僕は、この愛する妻だけでも、天界に入って本当に良かったと、改めて確信する理由だと思うのです。ただし、天界の結婚からは、たとえどれだけ肉体の契りを結ぼうが、子供が生まれることはありません。ですから、私たちは、幼児の頃世で死んで、天界に生まれた幼児たちを引き取って、自分たちの子供のように日々教育し育てているのです。
 ところで、天界は神を祝福する所だから、常に神礼拝を教会で捧げていると思い込んでいるキリスト教徒が多いと思いますが、実情は全く違います。天界にはこの世のような差別的な神礼拝はありません。キリスト教徒だろうが仏教徒だろうがイスラム教徒だろうが、主イエス・キリストのみを天の太陽として神として崇めて十戒を守って善良に生きる者は全て主から受け入れられて天界の天使になります。ですからイエス様という方は、私たち人間がほとんど信じることができないくらい慈愛に充ち溢れた永遠無限の唯一神です。
 天界の言葉についてですが、それはこの世のようにたくさんの外国語とは全く無縁で、全天界共通の普遍的共通言語です。この地球だけでなく全宇宙の宇宙人たちが同じ言葉で交流しております。天界の言葉はこの世の言葉に無限に卓越しており、天使たちは人間が一千の語を費やしても表現できないものを一語で表現することができて、天界の言葉で見聞したものは世の言葉では表現不可能であり、耳で聞いたこともなく目で見たものでもありません。
 また天界の天使たちがこの世の人間と話す時は、その人間の母国語を使って話します。天使や霊は人間の元へ来るとその人間の記憶を全て身につけてしまい、その天使や霊がその人間自身だと信じてしまうくらい人間と一体化します。僕も外国の人間に守護天使としてついたことがありますが、その外国語に関する知識は僕には全然ないのに、その外国人の言葉を使って彼に話しかけたものです。」
 以上、寅さんは天界の実態についてある程度のことを話してくれた。
 最後に私は地球人に対して何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「日本人の皆様、私・渥美清は無事に天界に入ることができて、毎日天界で花屋の仕事をしながら、幸福な結婚生活を送っております。私はここ天界ではもう俳優はやっておりません。相変わらずお調子者である僕ですが、僕は酒と花を愛する風流人です。
 ですから、日本人の皆様、宗教は色々異なるでしょうが、この霊界に死後来たら、霊界の規則に従わなければなりません。つまり、天使たちから天界の教義について教わり、また実際に天の太陽が主イエス・キリストであられることを目撃したなら、素直に天使の教えることを聴いて、天界に入りましょう。天界に入る条件は、主イエス・キリストのみを天の太陽として崇めて十戒に従った生活を送るということです。何も難しいことは要求されません。なぜなら、世で幼児として死んで霊界に生まれた子供たちは全員如何なる国の出身であろうが全員天界で教育されて天使になるからです。幼児が天界に入るのに大人は天界に入れないという実態が現実に霊界には存在するのです。
 皆様、死後の生命は永遠です。人間は皆死後の生命のために生まれているのです。だから、皆様もこの世にいる間から、一人の神を信じて善良に生きましょう。天界は永遠に満員になることはありません。宇宙中の人間が天界に入ってくるのです。イエス様は天界であなたを待っておられます。」
 以上を述べると寅さんは立ち去った。
 第四日目はこれで終わった。
 
第五日
 五日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストは日本の偉大な漫画家・手塚治虫である。しかし、それにしても今日はまだ夜中の11時すぎである。寝たのが7時半だから3時間半しか経っていない。明らかにある種の緊張状態にいて、霊界通信の執筆のために気持ちが高ぶっていると思われる。今日(明日?)の五日目の分を3時間以内で書き終えて、また寝直そうかと思っている。
 手塚治虫氏を取り上げるのは今回が初めてである。なぜこれまでこの日本の漫画史上最も偉大であると思われる漫画家を取り扱ってこなかったのは一体なぜだろうか?自分でも良く分からないのだが、恐らく私のような汚れた最低の地獄の悪魔である最低人間が決して踏み込めない聖域であったからであると思われる。それでは手塚治虫氏に登場してもらおう。
「読者の皆様、僕は手塚治虫です。僕の世での60年間に及ぶ略歴に関してはここでは述べないことにします。なぜなら、この霊界通信はあくまでも個人の業績ではなくて霊界の実態についての報告書だからです。」
 私・緒田士郎は手塚氏が天界の天使であるかどうかについてまず訊いた。
「僕は第2の天界の天使です。そしてここ天界でも漫画家をやっています。それから緒田士郎君は僕を取り上げるのは初めてだと言っていますが、決して初めてではありません。私は緒田君の閉鎖してしまったホームページで確かに取り上げられたことがあると覚えています。」
 すいませんでした。確かに彼を取り上げたかもしれません。お詫びして訂正します。
 さて私・緒田士郎は手塚氏の現在の天界での生活について訊いた。
「くどいようですが、僕は第2の天界で漫画家を職業にしています。今でも旺盛な執筆活動は変わりありません。世では鉄腕アトムを始め、火の鳥、ブラックジャックなどありとあらゆる作品を手掛けていましたが、ここ天界でも私は様々多岐にわたるテーマで漫画を描いています。特に男女の愛、結婚愛など、愛に関する漫画が多いのですが、さっき申し上げた通り、ここは僕個人の業績を述べる場ではなく、霊界及び天界の実況報告の場でありますので、ここで僕のことはできるだけ述べないことにします。」
 私・緒田士郎個人としてはもっと手塚氏の漫画家生活のことについて興味があるので、あえて手塚氏の個人的生活について彼の発言を求めた。
「そうですか、緒田さんもやっぱり私自身について興味があるんですね。私の実情を言いますと私の仕事場を訪ねてくるほとんどの客人が私の漫画についてばかり触れたがるのです。それは本来うれしいことではあるのでしょうが、私の漫画はその大半は私の創造の産物であって天界の宗教上の真理とは必ずしも符合するとは限らないのです。例えば、僕は世で書いた“火の鳥”はここ天界で完全に封印してしまいました。なぜなら“火の鳥”は元来私自身の輪廻転生を扱った宗教的には天界の真理にはそぐわない誤謬の漫画であるからです。しかしブラックジャックに関しては世では中途半端な終わり方だったので、ここ天界でその続編を描いています。ブラックジャックは私の医者としての理想的分身なのです。でも、もうこの辺で僕自身のことに関しては触れるのはやめましょう。僕の創作した漫画は夥しいので、それについて話しているときりがありませんから。」
 私・緒田士郎はやはり手塚氏が人間としても漫画家としても限りなく底の深い魅力を発散させておられることを認めざるを得ない。彼はこう言った。
「僕のことを神聖視するのは絶対にやめて下さい! 僕は単なる自己愛の汚れた人間であり、天地の神・主イエス・キリストとは全く比較の対象とはなるべくもない最低の地獄の悪魔にすぎないからです。ただ主のみを神として愛して下さい。僕が第2の天界の天使であるのも、僕が天地の神主イエス・キリストを愛するよりむしろ隣人である霊的天使の方を専ら愛しているからです。僕の漫画は主への愛からの結晶ではなくあくまでも人間天使への愛の結晶であるからです。」
 手塚氏は心からの自己卑下を伴った信仰告白を述べられた。それでは現在の天界の実態について彼に訊いてみよう。
「そうですね。まず天界の国と政治について話しましょう。天界にも一応国別の区別があります。日本人は日本人の天界を構成していますし、他の外国人もそれぞれ国別に天界を構成しています。しかし、これは単に低い天界の場合の実態であって第2の天界、特に第3の天界では国による天界の区別はありません。世界中の天使がただ単に主への愛と隣人への愛の類似に従って、天界の善と真理に基づいて、霊的に類似している天使は同じ社会に住み、特に天的に(つまり愛の方面での類似に従って)類似している天使は、ほとんど同じ家族のように隣接して住んでいます。そして結婚している配偶者どうしは同じ家に住んでいるのです。
 次に天界の政治について触れます。天界は幾多の社会に分かれ、大きな社会は数百数千の天使たちから成り、一つの社会の中の全ての者は実際同じような善にはいますが、同じような知恵にはいないため、必然的に政治制度もあります。第3の天界である主の天的王国を構成する社会の政治と第2の天界である主の霊的王国を構成する社会の政治は異なっています。主の天的王国にあるような、主への愛の善から発した政治は公正と呼ばれ、主の霊的王国にあるような信仰の真理から発した政治は審判と呼ばれています。天界の政治の統治者は他の天使に勝って愛と知恵におり、愛から全ての者の善を欲しており、他の天使を支配し、命じたりはしないで仕えており、また他の者に奉仕しています。彼ら統治者はまた自分自身を他の者よりは優れた者とは考えないで劣った者と考えています。しかも彼らは尊敬と栄誉を得、他の者よりも高い地位にあって、社会の真ん中に住み、また壮麗な宮殿に住んでいます。天界では用[役に立つこと]を遂行することが全ての天使の楽しみとすることであって、そこから主の王国は“用の王国”と呼ばれています。
 天界の実態については今日はこの辺でやめておきましょう。これから登場する他の霊界のゲストが他の実態についていずれ話すでしょうから。」
 以上手塚氏は天界の国と政治について話してくれた。
 私・緒田士郎は次に手塚治虫氏に結婚生活について話してくれるように彼に頼んだ。
「結婚の法則は天界の愛の秩序の最も大切な基本です。天界ではひとりの夫と一人の妻が一体となって一人の天使と呼ばれています。聖書の創世記の第2章21節から25節に以下のようにあります:“そこで神である主が、深い眠りをその人(アダム)に下されたので彼は眠った。それで彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。こうして神 である主は、人から取ったあばら骨を、ひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。すると人は言った。『これこそ、今や私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』 それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。そのとき、人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。
 以上の旧約聖書からの引用により、ひとりの夫とひとりの妻との結婚が天界の結婚であり、また互いに裸であることを恥ずかしいと思わなかったことにより、天界の結婚が無垢(無邪気)そのものであることが明らかです。」
 以上手塚氏は天界の結婚について語ってくれた。
 最後に私は地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「みなさん、人間は死後の生命などないのだから、皆自分の好きなように勝手に生きていいと思っていらっしゃる方も大勢いるかとも思われますが、それは極めて忌むべき誤謬です。人間は、死後全て消滅してしまう動物の命とは全く異なって、肉体の死後、永遠にあの世で暮らすことになります。一人の神を信じて善良に生きたなら天界へ、神を無視し悪の生活を送ったなら地獄へと向かうことになるのです。
 特に最後になりますが、天界の教義は主イエス・キリストのみを天の太陽として崇め十戒を守る生活が基本となります。
 皆さん、僕の漫画など主の聖書に較べたら全く価値のない単なる創作かもしれませんが、それでも肉体の死後、皆さんが天界の天使になったら、僕の漫画もどうぞ好きなだけ読んで下さい。僕はここ天界で永遠に神の善と真理に基づいた漫画を描き続けるつもりです。」
 以上を述べると手塚治虫氏は立ち去った。
 第五日目はこれで終わった。

第六日
 六日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストは作家・芥川龍之介氏である。ゲストの人選には悩んだが、やはりこの人には是非とも登場してもらいたい。なぜなら芥川賞はこの人を記念して授与される作家の登竜門でありこの人もまた歴史上の偉人の一人だからである。
 それでは芥川龍之介氏に登場してもらおう。
「こんにちは、芥川龍之介です。今回の霊界通信でも登場できて僕自身うれしく思います。でも僕は世間で評価されているほど偉大な人間でも何でもありません。僕もまた最後は自殺という極めてエゴイスティックな道を選んだ最低の地獄の悪魔の一人なのです。」
 私・緒田士郎は芥川氏が地獄の悪魔を自称しているが、実際は天界の天使なのかどうかを彼に訊いた。
「僕は第2の天界の天使です。自殺して精霊界に入った当初、私はしばらくの間地獄に行かされました。そして奈落の呵責を味わいました。なぜなら自殺者は通例地獄行きになる者がほとんどだからです。しかし僕は世にいた頃から聖書の愛読者であり洗礼こそ受けませんでしたが、精神的キリスト教徒だったため、主から天界に入るチャンスを与えられました。そして精霊界に戻って、天使から洗礼を受け再生の業を果たしたのです。こうして何とか無事に第2の天界に入ることができました。」
 私はここで日本の近代の歴史上の作家たちの霊界での運命について彼に訊いた。
「そうですね、それではまず僕の師だった夏目漱石氏から述べてみます。彼は残念ながら地獄にいます。なぜあれほど近代の日本の文学界の先駆者であった夏目氏が地獄にいるかと言えば、それは彼が表向きは善人の人格者で偉大な作家であったにしても、その内実は実は自己愛の塊であったし、一種の俗物の偽善者だったからです。僕自身自殺者の悪魔なのに天界にいることができるのに、なぜ夏目氏は地獄にいるのだろうとほとんどの日本人は不条理を感じぜざるを得ないことを僕は知っていますが、それについては人間の死後の運命を決定するのはその人の業績では決してなく、その人の支配愛であるということです。つまりその人が表向きはどうであれその内実の本音はどうであったかで死後の運命が決まるということです。
 それでは主だった近代から現代の日本の作家たちの霊界での行き先について一通り述べてみます。まず川端康成氏は地獄にいます。彼もまた残念ながら自己愛の俗物的作家でした。それから太宰治氏についてですが、彼も最初は地獄にいたのですが、僕と同じようにその内実は善良でキリスト教徒だったため結局は第2の天界の天使になりました。この太宰氏の死後の運命に関してだけでも、天界に入るかどうかを決定するのは、その人の表向きの業績ではなく、その本人の本音つまり支配愛であるところの目的であることが明らかに露呈すると思います。
 次に三島由紀夫氏に関してですが、彼も地獄にいます。なぜなら彼は表向きは大量の小説を量産した偉大な作家の一人ではありましたが、実際は同性愛の男色家だったからです。
 同性愛者は天界に入れません。地獄行きです。
 以上東京大学出身の主要な作家たちについてその霊界での運命について述べましたが、実際に僕が言った通り、彼らがそういう運命をたどっているのを疑う人があるなら、その人は実際に御自分が霊界に入ったら確かめてみてください。僕が単なる嘘つきかどうかはその時明らかになるでしょうから。」
 以上芥川氏は霊界での東大出身の作家たちについての運命を述べたが、私は芥川氏自身は天界でどんな生活を送っているのかを彼に訊いた。
「そうですね、僕の天界での職業はやはりこの世と同様に作家です。それにこの世でそうであったようにほとんどの作品が短編小説です。長編小説も書こうとはしたのですが、自己納得するようなものが書けず、結局は出版されませんでした。ここで明らかになるのですが、天界には文書も存在するし、図書館も存在するし、のみならず学校も存在するし、様々な分野の会社も存在するし、政府も存在するし、もちろん政治家も存在するし、総じて述べるならば、この世にあるのと同じようなものは、その完全な形で天界に存在するのです。
 つまり天界とは理想的な人間世界であり、この世よりもはるかに卓越した理想社会なのです。死後の生命をあくまでも疑っていらっしゃる方がいるなら、その人が肉体の死後、霊界に入って来ればはっきり分かります。そして天界はその全体として人間の形をしており巨大人と呼ばれているのです。各個の天使社会も人間の形をしており、なかんずく天使一人一人が人間そのものです。
 僕の天界での生活について話を続けます。僕もまた一人の妻と結婚生活を送っていますが、この妻が僕の生きる喜びのほとんどを占めていると言っていい位、僕にとってはかけがえのない存在なのです。僕は妻を世でも持っていたし、世では3人の子をもうけましたが、ここ天界では子供は生まれません。いくら夫婦の営みを続けようが妊娠も出産もありません。ですからこの世で子供を作ることが如何に大切なことであるかが明らかになります。結婚は天界の苗床なのです。
 それから僕の生活についてですが、天界では食べ物も着るものも住む家も無償で主イエス・キリストから与えられるので、生活上の心配については何もなく、僕たちは各自の任務である職業を持っているのです。僕の職業は前にも言った通り作家ですが、時々、主から世の人間の守護天使を務めるように、言い渡されることがあります。僕は主に作家の人間の守護天使を務めます。ついこの間までは、星新一の守護天使も務めていたし、今では村上春樹の守護天使も務めています。村上春樹は長編作家ですが、僕は村上春樹の文体に関して彼の霊を導いています。しかし、村上春樹はかなり好色な人間です。僕は彼に幻聴で姦淫を避けるように警告しましたが、実際の彼がどんな日常生活を送っているかどうかは誰にも分かりません。僕はそれを知っているのですが、それを公表することは今はまだ主から許されておりません。
 僕は時々、天界の作家仲間で宴会を開くのですが、その席上、これからの天界での作家たちの心得が話題に上ります。人類を天界に導くために、我々がなさねばならない任務について激論が交わされます。作家と言っても天使なので、人類を天界に導くことは我々の重大な仕事であるからです。」
 以上芥川氏は自身の生活と天界の実態について話してくれた。
 私・緒田士郎は最後に地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「今日の僕は饒舌でしたが、本来の僕は寡黙です。私は特に日本人に対して、以下のことをはっきり言っておこうと思います。現今霊界に関して多くの誤った宗教と思想が氾濫していますがそれらは全て誤謬です。本当の宗教とは、聖書に書かれているように、ただ主イエス・キリストのみを天の太陽エホバご自身として崇め十戒を守ることです。この原則はたとえどの天界の天使であろうが皆が一様に宣言せねばならぬ根本教義なのです。
 ですから日本人の皆さん、できるだけ聖書を読みましょう。自分の宗教を守って一人の人間としての神を信じ善良に生きる者は誰も罪には定められないし、死後霊界で天界の純粋な教義を天使から教えられそれを受け入れると全員天界に入ることができます。皆さん、キリスト教は単なる西洋の宗教ではありません。確かに東洋では仏教が広く信仰されていますが、これも善良に生きることを教えているなら、霊界で真実の教義を受け入れる素地を形成することになります。
 日本人の皆さん、現在日本人から、新たな天界が形成されつつあります。主イエス・キリストは誰に対しても公平で分け隔てがありません。この唯一神は誰に対しても決してお怒りになることなどなく、全ての人間を(なかんずく動物ですら)愛しておられます。
 皆さん、一人の神を信じて悪を避けて善良に生きましょう。死後、天界に入って、私達天使とともに永遠に生きていこうではありませんか!!!。」
 以上を述べると芥川龍之介氏は立ち去った。
 第六日目はこれで終わった。

第七日
 七日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストは20世紀の偉大な物理学者アルバート・アインシュタイン氏である。アインシュタイン氏については、私の誤謬の作品「天の呼び声」でゲストとして招いたことがあるのだが、私は昨日も彼の“相対性理論”に関する解説書をインターネットで読んだにもかかわらず、それがいったい何を意味するのかほとんど理解できなかった。私は文系出身なので、数学と物理学は得意ではない。それどころか、現在の私は数学と物理学の問題を出されても、恐らく全く解答不能だと思う。それで今日は彼に“相対性理論”に関しては話題にしてもらわないように懇願したいと思っている。
 それではアインシュタイン氏に登場してもらおう。
「こんばんは、アインシュタインです。緒田さんは“相対性理論”が理解できないと言っておられますが、このことについては緒田さんの作品『天の呼び声』で分かりやすく私が解説したではありませんか。つまり絶対時間や絶対空間なるものは存在せず、全ては相対的であり個々の時間と空間を持っていると。でも、“相対性理論”については今日は緒田さんの願望通り触れないことにしましょう。それに仮に“相対性理論”が理解できたにしろ、ここ霊界ではその理論はほとんど通用しません。なぜなら霊界には絶対時間も絶対空間も
 いずれも存在するからです。つまりここ霊界では空間も時間も外観的にしか存在しないのですが、それでも普遍的に全宇宙共通の時間と空間が存在するからです。“相対性理論”についてはこれでやめておきましょう。」
 私・緒田士郎はまずアインシュタイン氏が天使であるかどうかについて彼に訊いた。
「そのことについても『天の呼び声』で言ったように、私は第3の天界の天使です。」
 ここで、私は『天の呼び声』の第14日を読み返してみた。するとそこには“世には絶対時間も絶対空間も存在するが、霊界にはそれらは存在せず、ただ外観的にのみ表象的にしか時間と空間は存在しない”という内容のことが書かれていた。これでは今アインシュタイン氏の言ったことと矛盾するではないか!そのことについて私は彼に詰め寄った。
「緒田さん、どうやらあなたに物理学、なかんずく“相対性理論”の話をしても馬耳東風のようですね。なぜならあなたは頭が固くて理論物理学を理解できるような柔軟な脳を持っていらっしゃらないからです。ですから“相対性理論”の話はもうやめましょう。」
 私は憤慨するとまでは言わなくても不愉快な気分になった。もう話題を変えようと思う。
 それで霊界における時間と空間について彼に訊いてみることにした。
「天界でも世のようにあらゆるものは継続し進行していますが、しかも天使たちは時間と空間との概念を何ら持たず、時間と空間の何であるかを知りさえもしません。天使たちのもとでは、世におけるように全てのものは続いて進み、何らの相違もありませんが、彼らは時間については何ごとも知らないのは、天界では年や日はなくて、状態の変化があり、年と日のある所には、時間はあるが、霊界のように状態の変化のある所には状態があるためです。天使たちは、世の人間のように、時間から何ら考えないため、時間についても時間の事柄についても何ら考えません。天使たちは、世の人間が時間の事柄について考えることを聞くと、時間を認めないで状態と状態に属するものとを認めています。
 天使たちは時間の観念を持たないため、永遠については地上の人間とは異なった考えを持っています。すなわち、永遠により彼らは無限の状態を認めて、無限の時間を認めていません。従って、天界には時間の概念は存在しないのです。
 それでは次に天界の空間について話します。天界ではあらゆるものは、丁度世のように、場所と空間との中に現れていますが、しかも天使たちは場所と空間の概念または観念を何ら持っていません。霊界では場所から場所へ行くことは全て内部の状態の変化により行われるため、場所の変化は状態の変化以外の何ものでもありません。天使たちの運動は状態の変化により起こっており、そこから天使たちは距離を持っておらず、もし距離を持たないなら、空間も持っておらず、空間の代わりに状態とその変化を持っているのです。場所の変化はこのように起こるため、近づいていることは内部の状態が類似していることであり、離れていることはそれが類似していないことであることは明白です。このことから類似した状態にいる者たちは互いに他の近くにおり、類似していない状態にいる者は遠ざかっており、天界の空間は内なる状態に相応した外なる状態以外の何ものでもないことが分かります。諸天界は相互に明確に区別され、また各天界の諸々の社会も、各社会の個人個人も相互に区別されているのはこの原因から起こっています。同じくここからまた、地獄は天界からは全く分離しています、なぜなら天界と地獄は相反した状態にあるからです。
 同じ理由からまた、霊界では、人は他の者に会いたいと切に望みさえするなら、その者の前に現れるのです。なぜなら彼はその者に会いたいと切望することによってその者を思いの中で見て、その者の状態に自分自身をおくからですが、反対に他の者に反感を抱くなら、その者から遠ざかってしまうのです。そして反感は全て情愛が対立し、思考が一致しないことから発するため、霊界では数人の者が一つの所に共にいる時はいつでも、互いに一致している限り互いに他の者から見られていますが、一致しなくなるとすぐに消えてしまうことが起こっています。
 また誰でも、一つの場所から他の場所へ行く時は、それが自分自身の都会の中のことであれ、または庭園内のことであれ、または自分自身の社会の外にいる他の者のもとへ行くことであれ、その者がそのことを切実に願う時は、速やかにそこに到着しますが、そうでない時はのろのろと到着し、道そのものは、同一ではあるものの、願いの如何によって長くも短くもなるのです。これらのことから、霊界における距離は、引いては空間は、天使たちのもとでは、全く彼らの内部の状態に順応しており、そのため、彼らのもとにも、世におけると同様に空間はありますが、空間の概念と観念とは彼らの思考には入ってこないことが明らかでしょう。
 ここから以下のことが結論されることができます。すなわち天界には世のように空間はあるけれど、依然そこでは何一つ空間に従っては評価されないで、状態に従って評価され、従って、空間はそこでは世のように測られることはできないで、ただ状態のみから、そこにいる者たちの内部の状態に従ってのみ見られることができるのです。
 ここからまた結論として以下のことが述べられます:すなわち神である主イエス・キリストは各々の者のもとに愛と信仰とに応じて現存され、あらゆる者はその現存に応じて近くにも遠くにも現れるということです。」
 以上霊界における時間と空間についてアインシュタイン氏は語ってくれた。
 ここで、私は第3の天界の天使として彼が天界でどのような仕事をしているのかについて彼に訊いた。
「私はここ天界では大学の教授を務めております。専門はやはり理論物理学です。そして数学の知識を駆使して、霊界における物理的運動力学の研究に携わっております。霊界とは言っても、世のように、物理的運動は絶対的に存在します。
 ところで私が世で3度も離婚結婚を繰り返したのに第3の天界の天使になれたのには深い理由があります。新約聖書によれば離婚して別の女と再婚する者は姦淫の罪を犯すと云われています。しかし私はユダヤ人であったため旧約聖書の規定にした従って主から離婚再婚の罪を許されたのです。もし私がキリスト教徒であったなら、私の罪は決して許されなかったでしょう。私はユダヤ人ではありましたが、終始キリスト教国に住んでいたため、主イエス・キリストの存在を強く肯定しておりました。汎神論の立場を取っていた私でしたが、その唯一神が恐らく主イエス・キリストであろうと自分なりに確信していました。」
 私・緒田士郎は最後に地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「地球人の皆さん、私が第3の天界に入れたのも、私が物理学の研究を通して人間の生命を動かす力が神の全能から発していることを強く確信しその唯一神が主イエス・キリストであることを納得し、自分なりに神と隣人を愛していたからです。神と隣人を愛すること、この2つの戒めに律法全体がかかっているのです。ですからユダヤ人であってもイエス様を神として愛する私のような例外的ユダヤ人も厳然として存在するのです。
 地球人の皆さん、天界は一切人種を差別しません。たとえどんな人種に属していようが神を愛し隣人を愛するならどんな国の人間でも天使になることができるのです。私はこれからも永遠に神と隣人を愛し続けるし、またそれ以外のことは私には不可能です。
 ただ一人の神は天の太陽エホバであられる主イエス・キリストだけです。皆さんも主を信じ十戒を守って生きていきましょう。かならずあなたがたの努力は報われることを私は強く保証します。アーメン、主イエスよ、ハレルヤ!!!。」
 以上を述べるとアルバート・アインシュタイン氏は立ち去った。
 第七日目はこれで終わった。

第八日
 八日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストはゴータマ・シッダールタ、すなわち釈迦である。
 今日は土曜日、すなわち会社は(すなわちラグーナ出版は)今日は休みである。それでも私は昨日夕食後大好きなテレビ番組、爆報ザ・フライデーも見ないで、今日の夜2時に起きてこの霊界通信を書くつもりであった。ところがである、私が目覚ましのベルも鳴らないので何かおかしいと思って目を覚ますと、目覚まし時計は11時半で止まっていて、何と乾電池がはずれていた。私が夜中何かの手違いで乾電池を飛びはずしてしまったものと思われる。従って、今日は開始時刻が4時からといつもより遅れてしまった。しかし、今日は休日である。朝7時までゆっくり書けばいい。そして執筆後は、過去私が作詞作曲した曲を整理して、代表曲としてレパートリー曲を選ぶつもりである。つまり私は死後霊界で自分のレパートリー曲を演奏するために、死ぬ準備をするつもりである。私はこの霊界通信を書き終えたら、さっさと霊界に行こうと思っている。もう死ぬ準備をしておかねばならない。
 それでは今日のゲストに登場してもらおう。
「おはようございます、緒田士郎様、私はゴータマ・シッダールタ、すなわち釈迦です。私は緒田士郎様の小説にはもう常連客となっていて、今回もまた登場です。いつもいつも私を取り上げて下さって、本当に緒田様には感謝の気持ちでいっぱいです。ところで今回は、もう緒田様は、主イエス・キリストの再臨ではなく、およそ10年前に神であることをもうやめて悔い改めていらっしゃるので、私も緒田様に対して、私と同様に仏陀として、つまり完全に悟りを開いた人間として、接したいと思います。なぜなら緒田士郎様は完全に悟りを開いた仏陀であられ、一時は主イエス・キリストの生まれ変わりであると宣言するまで聖なる方であられたのに、しかもそのことは人類の救い―つまり地獄を滅ぼして人類全員を死後天界に入れる―のためであったにも拘わらず、御自分のイエス本人であるという誤謬を完全に悔い改められて、あくまでも自分は最低の地獄の悪魔であると自己否定の悔い改めの人生を歩まれたからです。私はそんな緒田様を心から慕って愛しております。私の世での人生なんて、緒田様の苦しみに満ちた人生に較べたら、大したことはありません。私は今でもあなた様の信奉者です。」
 私は釈迦の言葉を聞いて、涙が止まらなかった。私は釈迦のような歴史上の偉大な人物でも何でもない。確かに、私は「天の呼び声」を書いて、主イエス・キリストの再臨を演じ、36歳の時に成仏して、全地獄を消滅させたと宣言したことは事実だが、そのことは誤謬であったことを認めて、完全に世の片隅で完全な悔い改めの人生を選んだのであり、決して伝道もしなかったし、歴史に名も残さなかったからである。
 涙が止まった私は、釈迦に日本の仏教史上の偉人に関して、その知っていることを述べてもらおうと思う。
「まず、密教である真言宗の創始者・空海について述べようと思います。彼については緒田様の早稲田大学時代の親友である宣雄(せんゆう)氏が、その教えを継承して弘法大師を崇拝しその僧侶を務めておりますので、緒田様よりせんゆう氏の方が詳しいので、その教えの内容については触れませんが、私は空海が世に生きていた頃、彼の守護天使を務めていたのです。空海の思想についてはそれはいわゆる密教中の密教であり、仏教の奥深い神伝を伝えているものです。
 同じ頃に生きた天台宗の最澄に関しては、空海の奥深い神伝に較べたら、内容的には神域に達しておりません。
 その後の仏教ではほとんどが南無妙法蓮華経やら南無阿弥陀仏の念仏宗教であり、ただ念仏を唱えるだけで、極楽往生できるという浅ましい空虚な宗教であり、私の言葉であるスッタニパータを完全に無視しており、仏教と呼べるに値さえしておりません。
 私が生きていた時代は、古代教会時代の末裔であり、私の創始した原始仏教は、その古代教会の流れを汲むものでした。生活の戒めを重要視していたことは申し上げるまでもありません。仏教についてはその程度にしておきます。なぜなら私釈迦はもう仏教はやっておらず、古代天界の天使だからです。」
 私・緒田士郎は過去の作品の中で、釈迦が古代天界の天使であることを何度も述べてきたのだが、ここで古代天界の様子について彼に訊いた。
「古代天界は、人類の起源である最古代天界の後に、ノアの洪水の直後にできたものであり、主への愛である天的な愛に生きた天的天界である最古代天界に較べると、隣人への愛に生きた前者よりは神聖さの劣っている霊的天界です。最古代天界は旧約聖書の冒頭に記されているいわゆるアダム時代から派生しており、ノアの洪水までの聖書の記事は、真実の歴史ではなく、いわゆる歴史的創作であり表象的 な神の言葉です。
 この古代天界は最古代天界の下に位置しており、隣人への愛に生きた霊的天界ですが、主なる神を色々な表象物を通して礼拝しておりました。例えば、山や岡で色々な偶像を拝んで神を礼拝しておりました。この古代天界に較べると、最古代天界は主なる神を天の太陽として直接礼拝し、また世にいながらにして天使と直接的に交流しており、天使たちからの認識を通して天的な愛に生きていました。
 その2つの天界の後に続いた教会が、アブラハムであるヘブル人の子孫であるユダ・イスラエル教会です。しかし、この教会は天的なものや霊的なものを単に表象したにすぎない表象的な教会であり、主イエス・キリストが世に来られた時、最後には何と神ご自身であられる主なる神イエス・キリストを十字架処刑にしてしまったことは、新約聖書が伝えている厳然たる歴史的事実です。
 そのユダ・イスラエル教会の後に登場するのが主御自身によって創始されたキリスト教会です。ところがこのキリスト教会も、カトリック教会により、父、子、聖霊の三人の神に主を分離させてしまい、また神の権威を自分たちに移譲することによって、主の神聖性を冒涜してしまいました。その後に起こった改革派教会も“人が救われるのは主の戒めである十戒を守ることではなく、ただ主が十字架刑による子なる神の死により父なる神をなだめられて人類を無条件に救われる信仰のみによるのであるという完全に誤謬である教義”により、キリスト教会を完全に堕落させてしまったのです。
 そして遂に時が満ちて、主イエス・キリストは−天の太陽でしたが−霊界に再臨されて堕落したカトリック教会と改革派教会に最後の審判を行われたのです。それが起こったのが西暦1757年でした。
 その最後の審判の後、天界に新しい教会が創られました。それがヨハネの黙示録第21章に出てくる新エルサレム教会です。その永遠の教会を創設するために、啓示の書を書いたのがエマニュエル・スウェーデンボルグでした。そうです。この新エルサレム教会は永 遠に続く教会なのです。
 しかしです。この本来永遠であるはずの新エルサレム教会の後に、更に加えて名もなき教会−それは地獄を絶滅させて霊界の外に亡霊として追放し、人類全員が天界に入れる時代がやってくるという完全に誤謬の教会である−を創ろうとした緒田士郎が登場したのです。緒田士郎自身は単なる新エルサレム教会の洗礼を受けた人間自身でしたが、何と「天の呼び声」という誤謬の創作を通して、自分が主イエス・キリストの生まれ変わり・再臨であり、自分の死である入滅により全地獄を消滅させたとうそぶき、人類全員が天界に入れる時代がやってくるという誤謬の宗教を創ろうとしたのです。その緒田士郎が死後全肉体を持って天の太陽と合一しこの世とあの世を自由に行き来する天地の神になるという年が2043年だとここにいる緒田士郎は宣言したのです。しかし、その後の「続・天の呼び声」によって2009年に彼の(つまりこの私の)世界伝道が始まるという彼の予言は彼が完全に2005年11月に悔い改めたことによって実現されず、今日に至っているというわけです。
 以上、古代天界から緒田士郎の出現まで、人類の歴史を述べてみました。」
 お釈迦様は以上、古代天界から私自身の登場まで、地球人類の教会の歴史を概括してくれた。
 私は最後に地球人に何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「今回のこの作品で緒田士郎様が書きたかったことは、彼ご自身が天地の神主イエス・キリストの再臨だと自称していた最低の地獄の悪魔であるという点に、また西暦2043年に地獄の悪魔を霊界の外に亡霊として追放して全人類を天界に入れる時代がやってくるという教義は単なる誤謬であるという点に、尽きるのではないでしょうか?
 緒田様ご自身は特に取り立てて極悪人であるというわけでもなく、ただ神の御座をすら渇望する極度に自己愛の強い人間であると言えると思います。
 人類の皆様、緒田士郎をもう責めないでください。この人はイエス様の再臨ではないのです。ただ主イエス・キリストのみを天の太陽として崇めて十戒を守って善良に生きて下さい。そして緒田士郎がなそうとしたようにいつかイエス様が地獄を滅ぼし人間全員を天界に入れる時代がやって来ることを切に願います。
 ああ天地の神・主イエス・キリストよ、アーメン!ハレルヤ!!!。」
 以上を述べるとゴータマ・シッダールタ、釈迦は立ち去った。
 第八日目はこれで終わった。

第九日
 九日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストは映画俳優・ブルース・リーである。
 彼を取り上げるのは単なる私の趣味からでもあるが、彼が四柱推命上、時支一位偏官格という特殊な命式を持っていて、これは私自身もそうであり、時支一位偏官格は非常に個性的な人生を生きるためでもある。ちなみにエルビス・プレスリーもジョン・レノンも時支一位偏官格の持ち主であり、皆さんも彼らの活躍はよくご存じのはずである。なぜなら彼らは既にこの霊界通信の最初の二日にもう登場ずみであり、極めて個性的な人生を送った歴史上の英雄であるからである。
 ちなみに私は今、つい最近亡くなったイギリスはロンドン出身のロック・スターのシンガー・ソングライターであるデヴィッド・ボウイの“スター・マン”を繰り返して聞いている。彼は、まだ死んだばかりであり、現在精霊界にいて、天使から教えを受けて、天界に向かって準備中である。いずれ必ずや天界の天使になることはまず確実であることを私は信じて疑っていない。彼もまた偏官格の持ち主であるが、彼の場合時支ではなく月支一位偏官格に該当している。彼は四柱推命では運命のドラマの中心的舞台を司る命宮に天乙貴人、天徳貴人、月徳貴人という特殊星を三つとも持っており、皆さんもよくご存じのとおりの世界のロック音楽の英雄である。
 それでは今日のゲストに登場してもらおう。
「こんにちは、地球の皆様、僕はブルース・リーです。僕はアクション映画でカンフーという暴力的武道を生きていた者であり、乱暴者だから、死後は地獄にいるだろうと思っていらっしゃる方も恐らく多いと思いますが、僕はれっきとした天界の天使です。そして第1の天界の天使です。第1の天界は一番下の天界だから、その天使は能力的に劣っている天使であると思われていると思いますが、決してそうではありません。僕は僕の創始したカンフーは、結局は天界の天使の主要な要素である―自分自身は神に較べては無であるという―“空”の境地を具現化したものであり、東洋思想の大切な中核を実現していると思うからです。
 さて僕は天界の天使として、どんな仕事をしているかと言えば、それは地獄の悪魔どもをカンフーで叩きのめすことです。私は昼間は精霊界に降りてきて、精霊界の悪霊どもを叩きのめし、そして更に地獄に降りて行って、地獄の暴れている悪魔どもをたった一人で、叩きのめしております。僕のカンフーは皆様が思っている以上に、非常に有効であり、悪い奴らを完膚なきまでにぎゃふんと言わせることができるのです。僕は悪魔どもと闘う際に、世で僕の映画でやっていたようにたった一人で、闘います。誰の助けも必要とはしません。一人でカンフーできゃつらを叩きのめすことは、僕の美学であり、人生信条なのです。僕のカンフー映画はいわゆる虚構のやらせであり、僕には実力はないと思っている方もいらっしゃるかとは思いますが、そんな方には、僕ははっきりこう申し上げたいです、僕は実際に世で武闘大会で優勝するほどの実力の持ち主であったのであり、僕には実際にカンフーを志す多くの弟子がいたのです。その弟子の一人が、僕の世での妻リンダ・エメリーでした。僕は彼女と1964年に、リンダの両親の反対を押し切って、ワシントン州立大学を中退して結婚に踏み切ったのです。
 それでは僕の話はこの位にして、霊界及び天界のことについて、あるいは地獄のことも次に僕の知っていることを述べていきたいと思います。」
 私・緒田士郎は、ブルース・リーがカンフーという肉体の力を駆使していたことを考慮して、天界の天使たちの力について彼に訊いた。
「天使たちが力を持っていることは霊界と自然界に注ぐその流入を何ら知らない者たちには理解することはできません。彼らは、天使たちは霊的なものであるから力を持っているはずはない、天使たちは目で見ることができないほどにも純粋で、非原質的なものであると考えがちです。しかし物の原因を更に内的に洞察する者は異なった見方をしています。彼らは、人間の持っている力は全て理解と意志から発しており、理解と意志とは霊的な人であることを知っています。この霊的な人はその欲するままに身体とその肢体を動かしています、なぜならその霊的な人の考えることを、その口と舌とは話し、その意志することを身体は為しており、また霊的な人はその欲するままに力を与えているからです。人間の意志と理解とは主イエス・キリストにより天使たちと霊たちを通して支配されており、そのため身体のあらゆる物もまた、それが理解と意志から発しているため、支配されているし、皆さんがそれを信じられるなら、人間は天界の流入がないなら一足さえも動かすことはできないのです。それで人間は主の流入がない限り人間自身では何一つなすことができないのです。
 霊界では天使たちの力は非常なものであって、もし僕がそのことに関連して眺めたものを全てここに示すなら皆様も信じられはしないでしょう。かくして僕は悪い者らによって占められていた山々が主によって投げ下ろされて、くつがえされ、時には地震の時のように、一方の端から他方の端までも揺すぶられるのを見たのであり、また岩が真中から根元までも口をあけて、その上にいた悪霊らがそこへのみこまれるのを見たのです。僕はまた数百数千の悪霊どもが天使たちにより追い散らされて、地獄へ投げ込まれるのも見たのです。彼らには数も、術策も、狡知も、連盟も何らの効果も持ちません、なぜなら天使たちは全ての者を見て、一瞬にして彼らを地獄に追い散らすからです。こうした悪霊たちに対する力を天使たちは霊界で持っています。
 しかし天使たちは天使たち自身からは全く力を持たず、その力は全て主イエス・キリストから発しており、彼らはそのことを承認するに従ってのみ力となっているのです。彼らの中で自分は自分自身から力を持っていると信じる者は誰でもたちまち一人の悪霊にも抵抗することができないほどにも弱くなり、それが天使たちが自分自身に功績を全く何一つ帰すことはなく、何か自分の為したことのために称賛と栄誉とを受けることに反感を持ち、称賛と栄誉とを全て主イエス・キリストに帰している理由となっています。
 諸天界で力を全て持っているものは主から発出する神的真理です。なぜなら天界の主イエス・キリストは神的善に結合した神的真理であって、天使たちはこの真理を受けるに応じて、力を持つからです。天使各々の者はその者自身の真理とその者自身の善です。なぜなら天使各々の者はその理解と意志の如何に応じており、理解の全ては真理から発しているため、理解は真理に属し、意志の全ては善から発しているため、意志は善に属しているからです。なぜなら誰でもその理解するものを何であれ真理と呼び、その意志するものを何であれ善と呼ぶからであって、ここから天使各々の者はその者自身の真理とその者自身の善となっています。それゆえ天使は神的なものから真理となり、神的なものから善となるに応じて、主イエス・キリストは彼とともにおられるため、力となり、そして誰一人他の者における善と真理とに正確に類似した、またそれと同一の善と真理とにはいないため、一人の天使は他の天使とは同じ力を持っていません。僕ブルース・リーが住んでいるとこ ろの“巨大人”または天界の腕を構成する天使たちは最大の力を持っています、なぜなら天界の腕にいる天使たちは他の者に勝って真理におり、その真理の中へ全天界から善が流れ入っているからです。人間全体の力もまた腕の中へ入っていて、腕により身体全体はその力を働かせており、そこから聖書では腕と手により力が意味されています。天界には時々このためむき出しの腕が現れることがあり、それはそれを妨げる物を全て、たとえそれが地上の岩であっても、粉砕することができるほどのすさまじい力を持っています。
 主イエス・キリストから発出している神的真理はあらゆる力を持っており、天使たちは主から神的真理を受けるに応じて力を得ています。しかし天使たちは神的善を受け入れるに応じて神的真理を受け入れるのです。なぜなら真理は善から全ての力を得て、善なしでは何ら力を持っておらず、同じく善も真理を通してあらゆる力を持っていますが、真理なしでは何ら力を持たず、力はその善と真理の二つのものの連結から存在するからです。信仰と愛も同じです、なぜなら信仰の全ては真理であるため、真理と言うも信仰と言うも同じことであり、愛の全ては善であるため、善と言うも愛と言うも同じことであるからです。天使たちは善から諸真理によっていかに大きな力を持っているかは、悪霊は天使からただ見られるのみで、失神し、人間としては現れなくなり、しかもそれがその天使がその悪霊から目をそらさぬうちは続くということからもまた明白になっているのです。こうした結果が天使の視線から生まれるという理由は、天使たちの視覚は天界の光から発しており、天界の光は神的真理であるということです。目はまた善から発している諸真理に相応しています。
 善から発した真理には力の全てがあるため、悪から発した誤謬には全く力はありません。地獄にいる全ての者は悪から誤謬にいるため、善と真理に対しては何ら力を持っていません。つまり天使たちは主から善から発した真理からあらゆる力を得ていますが、反対に地獄の悪魔たちは悪から発した誤謬にいるため全く力を持っていないということです。」
 以上ブルース・リーは天使たちの力について豊かに述べてくれた。
 私・緒田士郎は最後に地球人に対して何かメッセージはないかと彼に訊いた。
「僕はここ天界でもカンフーの達人です。私は悪い者、つまり悪霊に対してだけ暴力を振るうのであり、善良な者、つまり天使や善霊に対しては丁寧慇懃に接しています。善を行って悪を避けることは、天界の教義そのものなのです。
 地球人の皆さん、天界の教義は以下の通りです:
1)神は一人であられ、その神は主イエス・キリストである。
2)人間を救う信仰はただ主イエス・キリストのみを神として信じることである。
3)悪は悪魔のものであり悪魔から発するゆえこれを避けねばならない。
4)善は神のものであり神から発するゆえこれを行わねばならない。
5)そして人間はこれを人間自身から発するものとして行うが、それは人間の中で人間を通してなされる主イエス・キリストの御業であることを信じなくてはならない。

 以上が永遠の天界の教義です。皆さんも、僕たち天界の天使たちの仲間になりたいのなら、いずれはこの教義を守るようにならねばなりません。難しいことはありません。なぜなら僕という暴れ者の暴力人間ですら天使になっているからです。
 ああ、天地の神・主イエス・キリストよ!アーメン!ハレルヤ!!!。」
 以上を述べるとブルース・リーは立ち去った。
 第九日目はこれで終わった。

第十日
 十日目の幻聴が始まった。
 今日のゲストはルートウィッヒ・ヴァン・ベートーベンである。ところがである。昨日の朝からここ鹿児島は南国であるにも拘わらず、大雪である。今は降っていないが、今日はバスが運行しないとテレビの大雪警戒放送で言っていたと、朝2時に起きた私に母が告げた。従って、今日はほぼ間違いなく会社は休みであろう。この霊界通信もあせらずゆっくり書くことができる。
 それでは今日のゲストに登場してもらおう。
「こんにちは、ベートーベンです。僕は緒田さんの「天の呼び声」にも第15日目にゲスト出演したので、これで2回目の出演ということになります。そして今日は私自身のことは「天の呼び声」で詳しく話したので、また今回のこの作品では霊界の実情に関して述べることが義務付けられているので、僕自身のことは簡潔に済まして霊界のことについて話そうと思います。
 僕は第3の天界の天使です。皆さんが言っておられるように、ここ第3の天界は主イエス・キリストへの愛に生きている天的な天使が住んでいるところです。僕は世でドイツでカトリック教徒だったから、聖書も読まないし、主も信じないで、法王を信じていたと思っていらっしゃる方もあろうかと思いますが、実情は全く違います。僕はカトリックのくびきから解放されていたので、聖書も読み、主への信仰に生きていました。なかんずく主を信じていたというより、深く主を敬愛しておりました。
 僕があの情熱的な交響曲「運命」を作曲したのも、主なる神が私に与えたもうた艱難辛苦の運命を僕が敢然と受け入れて闘ったからです。また第九「喜びの歌」も主への愛に動かされて、作曲したものです。
 僕は作曲家であるにも拘わらず、若いうちから難聴という障害に直面し、作曲家としては致命的な不利な状況の中でも作曲を続けました。そして最後は全聾となってしまいました。しかし全聾となっても私の頭脳の中には音楽が常に渦巻いていて作曲を譜面に書き残しました。
 また私は生涯にわたって独身を貫き通しました。これは私が女性恐怖症だったためもありますが、私が聖書の言葉“姦淫するなということはあなた方の聴いているところである、しかし私はあなた方に言う、情欲を抱いて女を見る者は心の中で既に姦淫を犯したのである”という御言葉を実践したためもあるのです。僕はいわゆる自慰行為を若いうちはしていたのですが、後には全くしなくなりました。それは私が霊的な姦淫を避けたかったからです。ある意味では私は女性を神聖な目で見ておりました。
 つまり私の生涯は聖書を実践した生命であり、私は一般のベートーベン放蕩説とは異なって、主に対する愛に生きておりました。」
 私・緒田士郎はベートーベンの主への愛から、今日は天界の神礼拝に関して、彼に語ってもらおうと思い、賛成するかどうかを彼に訊いた。
「よろしいです。喜んで天界の神礼拝について話しましょう。
 諸天界の神礼拝は外なるものの方面では地上の神礼拝に似ていなくはありませんが、内なるものの方面では異なっています。天界には地上のように教義があり、説教があり、神殿があります。その教義は本質的なものの点では一致していますが、しかし高い天界のものは、低い天界のものよりも更に内的な知恵を持っています。説教は教義に従っており、家や宮殿があるように、神殿もあり、その中で説教がなされています。天界にもまたこうしたものがあるのは、天使たちは知恵と愛とにおいて絶えず完全になされつつあるためです。なぜなら彼ら天使たちは人間と等しく理解と意志とを持ち、理解は絶えず完全にされることのできるものであり、同じく意志も絶えず完全になされることのできるものであって、理解は理知の真理により、意志は愛の善により絶えず完全になされることのできるものであるからです。
 しかしながら、諸天界では、神礼拝そのものは神殿を足しげく訪ねたり、説教を聞くことにあるのではなくて、教義に従った、主への愛と隣人への仁慈と信仰との生活にあり、神殿の説教はただ生活の事柄を教える手段としてのみ役立っているにすぎません。つまり神礼拝そのものは為さねばならない外面の行為ではありますが、しかしその行為の源泉である内なるものがないならば、外面の神礼拝には何ら益がなくて、その内なるものとは教会の教義に教えられている戒めに従った生活なのです。
 天界の説教では、説教者は東の講壇に立って、その顔の前には他の者に勝って知恵の光の中にいる者たちが座っており、その者たちの左右に、それよりも劣った光の中にいる者が座っています。彼らは円形を描いて周りに座っていますが、しかし全ての者はその説教者が見えるように座って、誰一人彼の両側に座って彼らが見えなくなるようなことはありません。神殿の東にある入り口と講壇の左に、教えを受けつつある者たちが立っています。誰一人講壇の後ろに立つことは許されません、もし誰かがそこに立つと、その説教者は混乱してしまいます。またその集会で誰かが説教者と意見を異にしても、そうしたことが起こり、それで彼は必ずその顔をそむけなくてはなりません。その説教はこの世の何ものもそれとは比較できないほどの知恵をその内容としています。なぜなら諸天界では彼ら天使たちは内的な光の中にいるからです。その神殿は第2の天界である霊的王国では、石でできているように見え、第3の天界である天的王国では木でできているように見えるのは、石は真理に相応し、霊的王国にいる者たちはその真理におり、木は善に相応し、天的王国にいる者たちはその善にいるためです。天的王国の聖い建物は神殿とは呼ばれないで神の家と呼ばれ、壮麗なものではありませんが、霊的王国では色々な程度の壮麗さを持っております。
 説教家は全て主イエス・キリストの霊的王国から来ていますが、天的王国からは誰一人来ていません。彼らが霊的王国から来ているのは、そこの天使たちは善から諸真理におり、説教は全て諸真理から発するためです。天的王国からは説教者は一人も来ていないのは、そこでは彼らは主に対する愛の善にいて、その善から諸真理を見て、認めはしますが、諸真理については話さないためです。天的王国の天使たちは真理を認め見はするけれど、そこにも説教がなされています、なぜなら説教により彼らはその知っている諸真理を明らかにされ、以前知らなかった多くの真理により完全にされるからです、すなわち、彼らは真理を聞くとすぐにまたその真理を承認しかくしてその真理を認めるのです。彼らはその認める真理を愛し、それに従って生きることによってその真理を自分の生命のものとしています。すなわち、真理に従って生きることは主を愛することなのです。
 説教者は全て主イエス・キリストから任命され、そのことによって説教の賜物を与えられており、他の如何なる者も神殿で教えることは許されておりません。彼らは説教者と呼ばれて祭司とは呼ばれません。彼らは祭司と呼ばれない理由は、天界の祭司階級は天的王国であるということです、なぜなら祭司階級は主に対する愛の善を意味して、その愛の善の中にその天的王国にいる者たちはいるからですが、天界の王権は霊的王国です、なぜなら王権は霊的なもので善から発している真理を意味し、その霊的な真理の中にその霊的な王国にいる者たちがいるからです。
 彼らの説教の基準となっている教義は全て生命を目的としており、一つとして生命[生活]のない信仰をかえりみません。最も内なる第3の天界の教義は第2の天界である真中の天界の教義よりも更に知恵に満ちていて、真中の天界の教義は第1の最低の天界の教義よりも理知に満ちています、なぜなら教義は各天界の天使たちの認識力に順応したものになっているからです。あらゆる天界の教義の本質的なものは、主イエス・キリストの神的な人間的なものを承認することです。
 以上が天界の神礼拝に関する実情です。」
 ベートーベンは以上を述べると沈黙した。
 私・緒田士郎はベートーベンの天界での生活について彼に訊いた。
「僕は今でも作曲家ですが、クラシックの他にも、ロックやポップス、讃美歌など様々なジャンルの音楽を作曲しています。僕は「天の呼び声」で述べたように、ビートルズのメンバーたちの守護天使をしておりました。僕だけでなくバッハやモーツアルトなどそうそうたる作曲家たちが彼らビートルズの作曲に関与していました。その時僕たちはそれこそわいわいにぎやかに騒ぎながら、ビートルたちの作曲のインスピレーションを刺激して彼らにあれほどの名曲を創らせたのです。それは本当に天界のクラシック作曲家たちの大饗宴でした。
 それから私の妻についてですが、私は僕にとって世で理想に描いていた最高の妻と結婚生活を送っております。この妻は私を毎日愛撫して深く愛してくれます。私は妻とよく作曲の話をするのですが、この妻もまたピアノの名手であり、ピアノソナタを作曲しています。私達夫婦はまさしく絵に描いたような理想的な結婚生活を送っております。」
 私・緒田士郎は最後に地球人に何かメッセージはないかとベートーベンに訊いた。
「地球の皆様、天界は本当に素晴らしい理想郷です。ここには生活に必要なものが全て主イエス・キリストから供えられているばかりでなく、我々天使は主への愛と隣人への愛に具体的に生きており、常に天界を繁栄させるために日々自分の任務を果たしております。天界には怠け者など誰一人おりません。天使各々が自分の職責を果たし、主と隣人のために生きています。
 地球の皆様、あなた方も日々聖書を読み、御自分の罪を悔い改めて十戒を守り、ただ主イエス・キリストのみを神として崇め、再生して、肉体の死後、天界の天使となって下さい。天界はこれからです。永遠に満員になることはありません。この地球からだけではなく、全宇宙の宇宙人からも日々莫大な数に上る人間が天界に入ってきています。天界は巨大な人間の形を構成しており、巨大人と呼ばれています。
 天界の天使になる条件は主イエス・キリストのみを天の太陽として唯一神として信じて十戒の戒めに従って悪を避け善を行うことです。天界の幼児たちは皆この世で幼児の時に死んでここ霊界に入ってきているのですが、その全員が天使から教育されて天使になります。皆さん、幼児が天界に入れるのに大人は天界に入れないという皮肉な実態が霊界ではまかり通っているのです。皆さん、死後の霊界での生命は永遠です。人間は元々死後の生命のために生まれているのです。是非とも天使になって下さい。
 ああ天地の神・主イエス・キリストよ!アーメン!ハレルヤ!!!。」
 以上を述べるとベートーベンは立ち去った。
 第十日目はこれで終わった。

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